旧真田山陸軍墓地(福島県人のお墓)
大阪市天王寺区玉造本町15−2
JR大阪環状線玉造駅 徒歩約10分
真田山陸軍墓地配置略図
A 軍役夫 934基
B 兵卒 1260基
C 下士官 247基
D 下士官 154基
E 兵卒 707基
F 兵卒 1413基
G 将校 155基
H 野田村遺族会 169基
1、破損墓碑塚 260基以上
2、 墓地の由来
3、満州事変戦病没将兵合葬碑
4、明治三十七八年戦没戦病死者
合葬碑
旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会、及び
国立歴史民俗博物館研究報告102号参考
(配置原図は近畿財務局所蔵)
明治四年(1871)、当時の兵部省が大阪に陸軍を創設した際、日本最初の埋葬地として設置され、昭和13年に「陸軍墓地」と改称された。(見学のしおり1より)
旧真田山陸軍墓地正門入口
(宰相山西公園側)
墓地内中央の道
Fブロック(左側)とHブロック
将校の墓碑群
赤塚鉄蔵墓
故陸軍会計一等書記
福島県会津郡南町士族
明治十年三日死
C-8列
亀田敏墓
三上清 墓
生兵(せいへい)の墓碑
破損墓碑塚(1)
明治年代の戦没戦病死者合葬碑(4)
三光神社鳥居
三光神社拝殿下のある真田幸村公之像
真田山三光神社側からの墓地入口
兵士の墓碑群
真田山公園は真田幸村が大阪城の出郭(出城・砦)、「真田丸」を築いたところです。
故陸軍伍長
福島県菊田郡大森村
明治十年四日於神戸死
C−7列
新撰旅□重隊四等□心得
福島県下□城国績吉村
薩摩臨時病院
B−14
生兵とは、徴集後の訓練兵で、二等卒の階級を受ける前の兵のこと
大阪城の外堀であった空堀の南東の丘陵、上町台地の真田山に鎮座し、日本全国で唯一の中風除の神として広く知られ真田山の三光の名称でよく知られている。