浜松 天林寺・鴨江寺

真徳山天林寺 (新撰組中島登の墓所)
浜松市中区下池川町27−1
浜松駅バス15分、学芸高校前下車徒歩5分

天林寺山門

真徳山天林寺 本堂

傑堂義俊禅師が、文安二年(1445)に引間城の麓に亀鶴山万蔵院を構えたのが、当寺の始まりと言われ、場所は現在地より南で、城の鬼門にあたる所とも言われています

本堂の左側秋葉街道を挟んで、天林寺の墓域があります
新撰組中島登の墓碑

碑文
中島 登初名峯吉字は忠義、天保九年二月二日武州八王子在小田野に生る。十九歳にして下思方山本満次郎につき天然理心流剣術、併びに柔術棍法静流薙刀を学び観世流小謡小笠原流礼法をも修行す。初め千人同心隊に属せしも元治元年二十七歳を以て新選組に入隊、隊長より武相甲三国の地理及び人気をはかる事を命ぜられ単身只管任遂行に当る。慶應四年一月東軍鳥羽伏見の戦に利あらず江戸に引揚ぐるや過去活動の成果を引つ提げ新選組頽勢の建直しに力を尽し、土方歳三に従い甲州流山宇都宮日光会津仙台と転戦遂に函館五稜郭に勇戦して敗る。幽因中戦友二十七人の絵姿、覚之書を残す。解き放されてより縁あつて浜松に留まり銃砲火薬店を開いて定住す。葉蘭種育に妙趣あり。明治二十年元旦、たかくとも五十の峠を安安と越ゆれば御代の春ぞ長閑けき と詠じ同年四月二日行年五十歳を一期として卆然波乱の生涯を閉ず。
  維持 昭和五十二年九月吉日  曾孫 中島登 誌之

法名 隆慶院孝庵義忠居士

甲江山鴨江寺 (幕臣大嶋寅雄の墓所)
浜松市鴨江四丁目17−1
浜松駅バス鴨江観音下車

鴨江寺 仁王門
大堂 拝殿

涼月院清慎道光居士

幕臣大嶋寅雄は旧幕府軍に加わり江戸を脱出。伝習第一大隊書記となり、土方歳三に随従その後、会津、仙台で戦う。
中島登が浜松にて元彰義隊隊士、当時浜松裁判所・登記所代書(?)だった大島清慎と再会
している。
側面に寅雄、法名に清慎の名が刻まれており、寅雄と清慎は同一人物(?)
大正七年十月建之
鴨江寺の墓所は、お寺から徒歩10分程度の浜松保健所の前を入った鴨江3丁目19にあります