音羽野間道場(野間一族)
文京区音羽2-12-21 地下鉄有楽町線護国寺駅徒歩5分
6番出口から大塚警察署角を右に曲がり、首都高を潜り右側講談社敷地内です。
野間道場

野間道場は、講談社創立者の野間清治氏が大正14年10月に古い剣道道場を買い取り、この音羽の地に移築したと云われています。

野間清治氏は、飯野藩剣道師範森要蔵の娘ふゆと飯野藩士野間銀次郎の弟好雄との子で、森要蔵は戊辰戦争で会津白河で戦死、野間銀次郎は箱根戦争参加後、脱藩者の代表として自尽しています。
入口の敷居は武家屋敷の様式を備えているとのことです
練習時間に写させて頂きました。
稽古時間は午前7時〜8時で講談社野間道場道好会の方が運営しています。
静寂の中、裂帛の気合が響きわたっていました。来年、この野間道場が取り壊しになるとの事、有形、無形の価値のあるものが消えてゆくのは本当に残念です。
この道場の床が素晴らしいです、ぜひ素足で確かめてください、道場のあるうちに!!
千葉上総青木の浄信寺

富津市青木887
JR内房線青堀駅より富津公園行バス
青木下車徒歩10分
浄信寺は、二代飯野藩主保科正景の菩提寺で、ここに森要蔵と野間銀次郎の碑があります。

左側、二代飯野藩主保科正景墓の前に飯野藩から遊撃隊に参加した20名の責任をとって切腹した、家老樋口盛秀(右側)と、箱根戦争参加後脱藩者の代表として切腹した野間銀次郎(真中の石柱と右の碑)二人の碑が建っています
護国寺野間家墓所
野間家
先祖累代菩提
野間銀次郎君之碑

保科家盡忠士 野間銀次郎君之碑
明治元年六月十二日自尽
小さい石柱碑も同じ文面です

故飯野藩大夫樋口君碑
明治三十一年六月 
子爵保科盛之助篆額
従七位重城撰
稲村素彬書
森景鎮之碑
山門の右横、右側にあります。

精真院範應忠劒居士
慶應戊辰年七月朔日俗名森要蔵年七十才

徳光印木誉純誓信士 
明治廿四年三月五日純衛五十九年

武嶽英釵居士    
慶應四戊辰七月朔日俗名虎雄年十六才

樋口盛秀碑文
保科家は、杉並大円寺篇上総富津篇
本堂に向って手前左側です