染井霊園
(会津関係篇)

A若松賤子墓 1種イ4号13側
B高嶺秀夫墓 1種イ3号7側
C三橋家之墓 2種ハ8号3側
D寺本義久墓 1種イ3号5側

A巌本家墓所 1種イ4号13側
手前が若松賎子の夫巌本善治の墓、奥が賎子の墓です。

元治元年(1864)に会津藩士松川勝次郎(旧島田)の長女で甲子(かし)と名付けられるが、父親は行方不明、母親を病気で失い孤児となり、貿易商大川甚兵衛の養女となる。
女性宣教師キダーが開くフェリス・セミナリー(現フェリス女学院)を卒業、母校の和文教師となり、バーネットの「Little Lord Funtleroy」を翻訳し「小公子」として発表する。

賎子の墓
明治・大正時代のキリスト教女子教育者。漢詩人巌本琴城の養子となり,妻に若松賎子をめとる。
巌本善治の墓 
賎子妹島田美耶の墓
B高嶺家之墓 1種イ3号7側
高嶺秀夫
安政元年(1854)生れ、会津藩士高嶺忠亮(ただすけ)の長男、藩校日新館学び、9代藩主松平容保近習となり、戊辰戦争後は東京で謹慎、のちアメリカ留学して、その教育学を東京師範学校(現筑波大学)に取入れ近代教育の基礎をつくる。
高嶺家家紋 左三巴
高嶺秀夫の娘土田敬子は、元警視総監土田国保の母親です。
C三橋家の墓所 2種ハ8号3側
三橋文内 会津藩士
青龍隊足軽三番隊小隊頭
慶応四年九月一日大内峠戦死
三橋家墓碑

墓碑に
故会津藩士三橋文内妻 小川登美 明治二十二年二月十九日歿
青森県士族 三橋文庫 明治二十二年三月五日歿

D故警部補寺本義久之墓  1種イ3号5側
警視庁警部補。明治九年十月の「思案橋事件」で殉職3号
明治九年十月二十九日、旧会津藩士永岡久茂、竹村幸之進等が旧長州藩士前原一誠等と共謀し、決起のため思案橋から千葉に出船しようとした処に寺本等警官が駆けつけ斬り合いとなり、寺本警部補、河合二等巡査が殉死し、思案橋事件と言われた

この事件の会津藩士、井口慎次郎、中原成業、竹村俊秀の墓は市谷源慶寺にあります。

為寺本義久君碑
大警視正五位川路利良建之
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