勝海舟の母信子
妹じゅん(佐久間象山妻)墓

お万の方は、上総国(千葉県)大滝城主正木左近大夫頼忠の娘で、後に伊豆河津の笹原城主蔭山氏の養女となり、徳川家康に仕えて二人の男子を生んだ。上の子は、家康の第十子頼宣(紀州家)で、下の子は、第十一子頼房(水戸家)である。水戸黄門の名で知られる徳川光圀は、お万の方の孫に当たるわけである。(静岡市説明板より)

元会津藩士林三郎惟純の父は源太、兄は大野原で戦死した林源治(源輔、三石二斗二人扶持二ノ寄合)。三郎の妻忠子は松平謹次郎の娘、長男奇男から三男まで早世、四男義人は松平家に養子、五男良材が林家を継承したという。戊辰後、静岡藩に仕えた。

貞松山蓮永寺 静岡市葵区沓谷2−7−1
JR静岡駅北口より静鉄バス停三松下車徒歩3分

林 源太  
妻 由り子
男 源治  
妻 な保子

栄正院殿妙壽日徳大姉は勝海舟の実母であり勝甚三郎元良の娘で小吉惟寅の妻
慈海院殿妙香日順大姉は佐久間象山の妻で海舟の妹。慈母のかたはら此処に葬る。

松平みの子は麹町にあった麹渓塾の松平慎斎一族の妻で慎斎の娘が林三郎の妻。慎斎は号、稱は謹次郎、名は義□(甬に戈)。幕末、この麹渓塾の塾頭になったのが会津藩士の林三郎だった

左手前の四基が林一族墓
仁王門

静岡蓮永寺(会津藩士のお墓)

お万の方供養塔
蓮永寺墓域の右奥の一段高い所に士族墓があります。ここに元会津藩士林三郎惟忠と一族の墓があります。

蓮永寺は、はじめ庵原郡松野村に建てられてあったが、元和元年(1615)、お万の方の発願によって、駿府城の鎮護とすべく、この地に再興されたものである。
(静岡市説明板より)

蓮永寺本堂

長女 かね子 
林 次郎
次女 古う子
次郎は林三郎の兄、源治の子

林 惟純墓
室 忠子墓

蓮永寺山門
林惟純の墓は東京の佛心寺にもあります

松平みの子(謹次郎妻) 林朝比古 
中川□□子 
中川直温

本堂の右側が蓮永寺の墓域。その右奥にお万ノ方の供養塔を囲むように静岡藩の士族墓があります。