萬年山霊寿院本堂

小田原霊寿院(会津藩士のお墓)

三淵震三郎家之墓

会津藩士三淵隆衡は戊辰の戦いで会津藩の責めを一身に負って自刃した
会津藩家老萱野権兵衛の弟、三淵家の墓は以前、藩主容保公が仮埋葬されていた新宿の正受院にあった。

大雲山興徳寺

震三郎は忠彦の三男
兄の章次郎が萱野家を継承する

三淵家墓域

神奈川県小田原市板橋820 
箱根登山鉄道 箱根板橋駅から徒歩10分

興徳寺は霊寿院の西側にあるお寺さんですが、ここで昭和七年六月四日、白虎隊士で中央大学創立者の一人でもある西川鐡次郎の葬儀が行われた。

隆衡 明治三十三年四月二十九日
登喜 明治三十六年三月一日 (隆衡妻)
久子 大正十一年八月六日  (忠彦妻)
□一郎
祥子
粲四郎
乾太郎

忠彦は初代の最高裁判所長官。ややこしいが、忠彦の娘多摩は伯父萱野権兵衛三男で日本郵船の船長を務めた従兄郡寛四郎の妻登美の兄、石渡敏一の五男慎五郎の妻になっている。

 昭和二十五年七月十四日歿

妻 静 共に眠る
  昭和三十年二月三日歿

三淵忠彦之墓
霊寿院山門
三淵氏の墓