狭山不動寺(松平正容奉献石灯籠)

天台宗別格本山狭山山不動寺 所沢市大字上山口2213
西武線西武球場前から徒歩3分 右手陸橋ではなく下の横断歩道が近道です。

不動寺には、会津城主松平正容が芝増上寺内の清揚院殿霊廟(甲府宰相綱重・三代家光公三男)に奉献した石灯籠二基が残っています。この狭山にある増上寺の石灯籠については、伊藤友己氏が書かれた増上寺の石灯籠「増上寺石灯籠現況調査報告書第三版」に配置図も含めて詳細な記載があり、参考にさせてもらいました。
不動寺入口

寛永9年(1632)芝増上寺内に建立された徳川幕府2代将軍秀忠の霊廟の勅額門。
戦災により焼失してしまった増上寺北側の徳川家霊廟部分を西武鉄道が取得し、霊廟や参道を囲んでいた諸藩主より寄進された石灯籠は、所沢の西武所有地に運ばれ、約千基の灯籠がそのまま野積みにされ、球場が建設される時に希望者に配布されたと言います。芝増上寺内に建立された徳川家の霊廟門の内、戦災を免れた四棟の門のうち三棟が不動寺の境内にあります。

旧台徳院霊廟勅額門

元長州藩毛利家屋敷門と言われている門 大名屋敷表門としての形式は残していないようです(本堂前)
旧徳川家崇源院霊牌所門通用門
旧台徳院霊廟御成門
寛永9年3代将軍家光が着手し建立したものだそうです。
本堂脇石灯籠群

会津藩奉献の灯籠は本堂左脇と下の桜井門に向って手前から五基目です。
本堂左脇は微かに読取ることが出来ますが、参道側の石灯籠は剥落していて殆ど判読不能です。

奉献□□□両基 (奉献石灯籠両基)
   増上寺
□□□□尊前 (清揚院殿尊前)
□□□□□□九月十四日 (宝永七庚寅年九月十四日)
会津城主従四位行左将兼肥後守
      源正容

本堂脇の正容奉献の石灯籠
桜井寺山門
奈良県十津川桜井寺の山門、
幕末天誅組本陣として使用された。
田中平八郎邸門(羅漢堂入口)
石柵で囲まれた立入禁止の銅籠群
未整理の不動寺青銅灯籠リストには約80基の記載がありますが、目視では柵の中に、約50基の灯籠が並べてありました。リストの中に1つだけ正徳二年に肥後守源正容が文昭院霊廟に献納した銅籠があり、会津藩関係の銅籠が柵の中に残っている可能性があります。(御釜屋堀山城清次作、上野東照宮の銅籠は御釜屋堀山城清光作です)
不動尊の住職も兼ねている
上野見明院(上野公園16)

ご住職に不動寺羅漢堂内の青銅灯籠について尋ねたところ、、虫の居所が悪かったせいか、私が作った訳でもなく、持ってきたのは堤だから、堤か松平に聞いてくれとのことでした。(2006年6月8日)
芝から運ばれ柵で囲われている事を悲しむべきなのか、それとも残っているだけまだましと喜ぶべきなのか複雑な気持ちでした。

柵の中にある羅漢堂と銅籠群