浦賀乗誓寺(会津藩士のお墓)

東教山乗誓寺 横須賀市東浦賀町1−77
京浜急行浦賀駅よりバス停新町より徒歩3分

乗誓寺本堂山門
開基は平塚入道了源。文明年間に了源によって平塚阿弥陀寺が浦賀に移り寛永14年(1637)に乗誓寺となる。寺伝によれば了源は曽我兄弟十郎祐成の子河津三郎信之で母は大磯の虎御前。乗誓寺の歴代住職は、世襲により継承されており、曽我兄弟十郎の子孫です。
杉浦成忠墓入口
本堂左側階段を上がり奥に進み、鐘楼堂の右側階段を上がる。
乗誓寺鐘楼堂
杉浦家墓
佐伯成忠(本姓 杉浦成忠)旧会津藩士墓
正面が杉浦家の墓碑

墓碑
釋妙證大姉 明治二十七年三月二十一日
 シヨ  八十三才
速證院釋一乗大居士 明治二十九年五月十七日
 佐伯成忠 五十七才 
大光院釋尼妙静善女 明治三十二年八月三十九日
 コウ   五十一才
外4名記載
          昭和五十五年六月吉辰
          杉浦成章建之

杉浦家之墓
浦賀湾   杉浦家墓域から見る

乗誓寺境内にある本願寺第八代蓮如上人
お手植野銀杏の木

顕正寺 

東浦賀町2丁目3番地
乗誓寺の前の道路をはさんで東耀山顕正寺があります。
天正元年(1573)に顕正坊日実大徳が顕正庵を創建。
ここに、幕末、横須賀で活躍した幕臣の墓があります。

春山家墓域
本堂右側を入り、本堂裏手(小屋の前)に
あります。向って左端.春山弁蔵の墓
春山弁蔵墓

明治元年戊辰九月十八日 於清水討死
元浦賀奉行所同心
榎本武揚と咸臨丸副長の職で函館へ向うが、台風に遭い修理のため清水港へ向かう途中、官軍軍艦の砲撃に遭い死亡。

岡田家墓域
本堂裏、奥中央より右手、左側
岡田井蔵墓

父岡田定十郎 母香山氏 天保八年正月廿日生 元浦賀奉行所与力、
幕末に千代田型という国産の軍艦を建造した

顕正寺の庚申塔六基

手前から五基目の庚申塚が古く天保十己亥年(1839)十一月亥甲日刻字あり