浦賀寿光院(美都姫のお墓)
横須賀市西浦賀町5-58
京浜急行浦賀駅よりバス紺屋町下車徒歩15分
為朝神社(浜町の鎮守)
バス停紺屋町から10分程度の所にあり、寿光院は為朝神社を右にして、さらに奥へ進む。
寛政十二年(1800)浜町の漁民が為朝の木造を拾い、地蔵堂に安置したのが始まり。航海の守護神として、「ほうそうよけ」の神様として信仰を集めてる。
浦賀奉行所跡
享保五年(1720)、伊豆下田の下田奉行所がここ浦賀に移され奉行所となった。奉行は初代の堀隠岐守から最後の土方出雲守まで五十三人が勤めた。地位も長崎奉行の上席に昇格したといいます。現在は、住友重機の社宅。
寿光院への案内板
住友の社宅を右にみて、左手にある案内板のところを左に入る。
しばらく行くと、正面の駐車場が見え、その右手にが寿光院です。
寿光院入口
西浦賀の常福寺の隠居所として元和年間に建てられた境外仏堂です。
浄珠庵とも呼ばれていた
寿光院本堂
美都姫之墓
旧会津藩士 小林栄三郎
明治十九年五月十四日 母 みつ
享年七十一
入り口の地蔵堂の裏手にあります。
この墓域を管理している人の話では、
この墓石も会津に関係しているのではと言うことですが、碑文が読めず不明。
本寺の話では、以前には会津藩士の墓石があったとのことですが、今不明。
2回にわたる調査でも発見できず。
美都姫之墓横にある三基の無縁仏
入り口にある地蔵堂
「三命地蔵」別名首切り地蔵
石の地蔵さんと墓石が祀られています。江戸時代後期に盗みで水主の三人が死罪、船主が地蔵さんを彫ってここへ安置しました。首から上の病気なら治るという伝承が残っています。
本堂への道、正面にあります。
常福寺への階段
放光山延壽院常福寺
横須賀市西浦賀2−5
京浜急行浦賀駅よりバス紺屋町下車徒歩10分
寿光院の管理寺
常福寺本堂
文明年間(1469〜1486) に創建され、浦賀に奉行所が移されてからは、浦賀における本陣(御用寺院)の役割をした。
浦賀奉行所歴代与力の墓や遊女の供養塔もある
浦賀奉行所与力
合原雄左衛門之墓
浦賀湾通称陸軍桟橋
享保六年(1721)、浦賀奉行所の船番屋の置かれたところです
この桟橋は、太平洋戦争後、南方からの引揚者が数十万人上陸、帰国の第一歩を印したところです。