竹岡十夜寺(会津藩士のお墓)

寿栄山松翁院無量光寺 通称「十夜寺」千葉県富津市竹岡349
JR内房線上総湊駅から高島別荘入口行(東京湾フェリー行)十夜寺バス停徒歩すぐ(但しこのバスは日中、本数が少なく注意が必要です。上総湊駅からタクシーで千円前後です)

松翁院山門

室町時代後期に、梵蓮社行誉上人によって開山。
幕末江戸湾の防備のために百首(竹ヶ岡)村に砲台と陣屋が設けられ、警備の会津藩・白河藩の菩提所となった。

松翁院本堂
幕末、火災で伽藍が消失、会津藩江戸藩邸の屋敷を譲り受けて本堂を再建したと言われています、この藩邸の屋敷は、中屋敷か下屋敷かはハッキリしませんが、残念なことに平成6年11月に取り壊され新しい本堂に建替えられています。
会津藩士の墓域(右側は白川・備前・忍藩士のお墓が並んでいます)
松翁院の御陣屋諸将士記録によれば、会津藩は三十三墓碑と「川向延命寺当山ニ葬ス」の一基計三十四の墓碑があることになっていますが、現在判明している墓碑は二十六基(二十七名)です。同じ竹岡にある延命寺と松翁院は歩いて10分程度だと思います(2度歩いたのですが、地元の人と話をしたり、郵便局に寄道したりしたので、時間がハッキリしません)
1,奥州会津家臣 榎本永義後妻墓
礼法院譲誉智教大姉 
嘉永二年七月十七日
2,会津藩 高橋左膳豊忠墓
二年二月 
西光院明春忠巌居士
3,会津臣 平山元治
歓達淨喜居士 
嘉永五年五月二十五日
4,穴沢光信母
5,会津藩 高橋豊正
6,会津藩士 白井胤元 女
心樹院観誉葉光妙音大姉
7,井深光邦墓

会津臣俗弥六郎兵衛 
忠肝院殿雄岳威居士

8,諏訪光知

会津之士 諱藤左衛門 光嶽院知勇俊山居士
嘉永三年十月廿四日

9,会津藩 渡部秀明之墓
嘉永元年四月廿日
10,会津家臣 津田朝則妻
西村光成之女
11,吉田萩之助
12,会津之士 弦木成功

嘉永四年十二月二十一日病卒
成徳院功岳義全居士

13,会津士 関脇重教妻
嘉永四年六月十一日 
心正院寛誉貞操大姉
14,会津藩 津田三郎八基
嘉永三年七月廿八日
15,会津 國安多蔵
二月九日
16,下川忠意
会津家臣 俗弥久□□
17,会津藩 野口成文妻
18,会津藩 佐藤美□
19,会津家臣 榎本永義三女
三月六日
20,会津 富田重寿三女
嘉永三年十月十八日
21,松見重□ 娘
四月十一日
22,会津 稲村兼吉 女
23,会津藩 平田好浩□
24,会津 武藤義保、同人妻墓
真全妙応大姉 
嘉永六年十一月二日
25,会津藩 永岡久高妻
嘉永五年八月二十一日
26,会津藩 齋藤勝□
北方領土を見るような景色
東京湾久里浜方面です。
俗弥八之墓