金戒光明寺は、幕末には松平容保の会津藩の京都守護職会津藩一千名の本陣にもなり、墓地には会津藩殉職者が埋葬されている。 金戒光明寺のサイトによれば、山上墓地北東には約三百坪の敷地に『会津藩殉難者墓地』が有り、文久二年〜慶応三年の六年間に亡くなられた二百三十七霊と鳥羽伏見の戦いの戦死者百十五霊を祀る慰霊碑(明治四十年三月建立)があり、禁門の変(蛤御門の戦い)の戦死者は、一段積み上げられた台の上に三カ所に分けられ二十二霊祀られている。会津松平家が神道であった関係で七割ほどの人々が神霊として葬られています。
会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑
旧会津藩有志
明治四十年三月建之
百十五霊