二村山法蔵寺 愛知県岡崎市本宿町字寺山1
名鉄本線本宿駅旧東海道沿い徒歩10分
松平親氏の菩提寺として松平泰親が建立、家康の父、松平広忠の墓がある
本堂左側にある首塚の案内板
近藤勇首塚の由来
新撰組隊長近藤勇は、慶応四年(明治元年)四月二十五日三十五才で東京都板橋の刑場の露と消えました。刑後、近親者が、埋められた、勇の死体を人夫に頼んで夜中ひそかに掘り出してもらい、東京都三鷹の竜源寺に埋葬しました。また、勇の首は、処刑後、塩漬にして京都に送られ三条大橋の西にさらされました。それを同士が三晩目に持出し、勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の称空義天大和尚に、埋葬を依頼することにしました。しかし、和尚は、その半年前から、三河国法蔵寺の三十九代貫主として転任されていたので法蔵寺に運ぶことにしました。この寺は山の中にあり、大木が生い茂っていて、ひそかに埋葬するのに好適の地でした。しかし当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい、無縁仏の様にして沓華していました。そしていつか石碑の存在も忘れられてしまいました。昭和三十三年総本山の記録等に基づいて調査した結果埋葬の由来が明らかになりました。今回、石碑をおおっていた土砂を取り除き、勇の胸像をたてて供養することにいたしたのであります。 法蔵寺 執事土方歳三 戸村静一郎 小笠原新太郎 内田良太郎
鈴木万之助 佐藤善二郎 鈴木源兵衛 菰田幸之助
松下信三郎 市原鐘太郎 太田政一郎
世話人 清水三右エ門、堀川廉之助
慶応?年
建立者 内山勝行