寿徳寺 北区滝野川4−22−2地下鉄新板橋駅徒歩15分
17号滝野川6丁目交差点から狐塚の坂、石神井川かんおんばし(観音橋)を渡って直ぐ。滝野川小、紅葉中の側を通ると判り易い。新撰組墓所は寿徳寺境外墓地の板橋駅前にあります。
寿徳寺境外墓地 北区滝野川7−1JR板橋駅東口徒歩1分
近藤 明治元年辰四月廿五日
土方 明治二年巳五月十一日
発起人 旧新選組長倉新八改 杉村義衛
石工 牛込馬場下横町平田四郎右衛門
明治九年五月一日建立
右側面に新選組戦死者等三十九名、左側面に病死、変死等七十一名の名が刻まれています
左側
無縁塔
明治二年己巳二月下旬 建立之
右側
勇生院頭光放運居士
慶応四戊辰四月二十五日
近藤宜昌 寿徳寺
近藤勇埋葬当初の墓石
近藤勇処刑の場所は平尾一里塚跡(埼京線踏切道と旧中仙道の交差附近)の脇の処といわれています
近藤勇と新選組隊士供養塔について
東京都北区指定有形文化財(歴史資料)
平成15年12月10日指定
慶応4年(1868)4月25日、新選組局長であった近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近で斬首処刑されました。首級は京都に送られ胴体は刑場より少し離れた場所に埋葬されました。本供養塔は没後の明治9年(1876)5月に隊士の一人である永倉新八が発起人となり造立された。高さ3.6メートル程ある独特の細長い角柱状で、近藤勇、土方歳三他110名の隊士などの名前が刻まれています。