春日伝通院(元姫のお墓)
無量山傳通院寿経寺 文京区小石川3−14−6
営団地下鉄丸の内線、南北線後楽園駅4番出口より春日通り富坂警察署先右に曲がる。徒歩15分
伝通院入口
浄土宗関東十八檀林の一つで、江戸十二番札所
伝通院本堂
徳川家康の生母お大の方の法名「伝通院殿」にちなんで無量山寿経寺の院号を伝通院と名付けた、桜並木の参道です
元姫の墓
貞鑑院殿性誉円明淨覚大姉
十一代将軍家斉の娘、会津松平容衆の正室、僅か半年後十四歳で没す。
千姫の墓
天樹院殿栄譽源法松山禅定尼、
二代将軍徳川秀忠の長女、松平正之の異母姉、豊臣秀頼・本多忠刻の妻
お大の方墓
傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼
徳川家康の生母、父三河刈谷城主水野忠政の娘。墓は本堂の左側に有り石造り玉垣を巡らした五輪の大塔です
徳川家墓域
本堂脇の観音堂左側を通り、墓地の北側奥にある一段低い一画にあります。
清河八郎の墓
清秀院殿忠正明義居士
出羽国荘内藩領清川村の郷士斉藤豪寿の子、浪士組に参加であった。幼名元司。諱は正明。本名は斉藤正明
万延元年(1860)、薩摩藩士伊牟田尚平らとともにヒュースケンを暗殺、文久三年(1863)二月浪士隊が山内の処静院で結成するが、同年十二月、麻布上山藩の重臣金子与三郎宅から帰途中、麻布一の橋で幕府見廻組佐々木只三郎により斬殺される。伝通院墓地には柴田錬三郎の墓がありますが、錬三郎夫人の栄子さんは、清河八郎の妹辰の孫にあたります
貞女お蓮の墓
清蓮院貞栄香花大姉、
清河八郎の妻
山岡鉄舟が墓を建てたと云われています
浪士隊結成の処静院跡の石柱
伝通院の柱頭の一つ、福聚院北側にあった処静院の前に建っていたもの
文久三年(1863)二月四日、新撰組の前身となる浪士隊が山内処静院で結成され、山岡鉄舟・清河八郎を中心に近藤勇・土方歳三・沖田総司・芹沢鴨ら250人が集まった