六本木墓苑 港区六本木3−14−20
地下鉄大江戸・日比谷線六本木徒歩5分 六本木交差点をロアビル方向に外苑東通りを直進、左手側3番目の道を左折(通称閻魔坂を下がる)、知る人ぞ知る「金魚」の店の先に墓苑(保科正之の叔母高運院墓)があります。
六本木墓苑入口
六本木墓苑は、戦後の道路拡張で正信寺・深広寺・教善寺・光専寺・崇巌寺の浄土宗五ヶ寺の墓地を常巌寺の跡地に集約した共同墓地です
寛永三年(1626)に徳川二代目将軍秀忠の夫人、崇源院が亡くなり、火葬を麻布の原で行った。同五年(1628)に三回忌の法事を勤めたことで、寛永六年(1629)に教善寺、正信寺、光専寺、深広寺が、葬儀の行われた一帯の土地を拝領した、この拝領地は、崇源院の火葬が行われた場所から風下一帯だったと言われています。
高運院殿深誉源信大禅定尼墓
寛永十二年乙亥年
二月十有七日寂
加藤佐渡守藤原朝臣明陳再建之
高運院(徳川家康養子)は会津領主加藤明成の正室、父は保科正直、保科正光妹で会津藩主保科正之の叔母にあたります。
加藤明陳(あきのぶ)は水口藩八代藩主(藩祖は賤ヶ岳七本槍の一人加藤嘉明の孫加藤明友)
旧高鍋城主秋月家累代塋墓
旧飯山藩主本多家先祖累代之墓
享保十年乙巳六月中旬
従五位下守大学頭藤原朝臣信充識
墓苑の中央やや右奥に飯山藩本多家のお墓がありました。享保十年六月の藩主は、初代藩主本多助芳三男の二代藩主本多康明の時です