済松寺(祖心尼のお墓)

蔭涼山済松寺 新宿区榎町77 地下鉄東西線早稲田駅徒歩15分
早稲田通りを大学と反対の方向に行き、外苑東通りとぶつかる弁天町交差点渡りすぐ、弁天町交差点の対角上に山鹿素行のお墓もある宗参寺があります

@済松寺標
@済松寺標  A済松寺山門 B済松寺お庭
C当山開基祖心大禅尼之塔(祖心尼の墓)水南和尚の墓
D会津臣加須屋一得武応墓 E武応墓の側面
寺標に「徳川家光公創建」とある蔭涼山済松寺は、開基が徳川三代家光公に仕えた祖心尼で、寺号は臨済の済、松平の松の意で上意によって建立された。東都歳時記に江戸山の手二十八所地蔵尊参の廿六番榎丁済松寺内實性院と記載あります。今でもこのお寺の庭や、創立当時のままといわれる「鳳凰の池」と呼ばれる池があり、都会の喧騒の中で静寂を保っています。普段は一般公開していないとの事ですが、お花の時期には、お寺にお願いして見させてもらう価値が有ると思います。
A済松寺山門
B済松寺お庭
C当山開基祖心大禅尼之塔(祖心尼の墓)右
水南和尚の墓 左
祖心は前田利長の養女になり小松城主対馬守前田長種の長子直知に嫁、あと会津蒲生氏家臣町野幸仍の子長門守幸和と再婚して、孫が家光の側室振の局となっています。
宗参寺(山鹿素行のお墓)の所に、素行と祖心の関係を記載してあります。
D会津臣
加須屋一得武応墓
済松寺の墓地右手奥の林のまた奥、外苑東通りに面した塀の近くにありました。
武応は書家の磐梯加須屋時鳴の父
E武応墓の側面

寛量院殿仁叟寿居士 文化五年五月二十三日
寿量院貞室良媼大姉 文政十一年三月二十六日