新宿正受院(会津松平家菩提寺)

明了山正受院願光寺 新宿区新宿2−15−20
地下鉄丸の内線新宿三丁目駅徒歩5分
C7番出口から靖国通りを厚生年金会館方向です。

奪衣婆像(別名綿のお婆さん)で有名な正受院願光寺は、幕末まで会津若松公の菩提寺で会津藩主松平容保の墓があり、また過去帳に「明治七年三月、愛彦霊神、敬彦霊神、松平氏、神葬祭二子事」記載が残っており、後にこの二子も会津院内に移されています。
明了山正受院願光寺(しょうじゅいん)
正受院本堂
この梵鐘の後約20坪が松平家の墓地だったと云われ、會津松平家譜によれば、「明治二年(1869)五月十八日、朝廷保科正益に命じ、萱野長修を斬に処せしめ其の後を断たる。十二月九日、東京南豊島郡内藤新宿正受院域中に葬る。神式を用ふ。大正六年(1917)六月九日、会津院内山先榮の次に移葬す」とあります。
野村家之墓

大正七年十月建之 野村英治

旧会津藩士関係の墓が1つだけ残っていました。この墓には、晩年の容保の側でお世話をした松枝という方が葬られ、容保の会津院内改葬の後、松平家の墓地の一部を贈られたと云います。
野村家家紋 左三巴
奪衣婆堂

三淵氏の墓について

三淵隆衡は家老萱野の実弟で、権兵衛は切腹、家名は断絶され隆衡は三淵を名乗り、三淵隆衡二男忠彦の子章次郎が萱野家を嗣いでいます。なお三淵忠彦は初代最高裁判所長になっています。野村家之墓の一段下がった所にこの三淵氏の墓が有ったはずですが、ご住職は理由をはっきり話されませんでしたが、今は無いとの事でした。