西麻布長谷寺(会津藩士の墓
普陀山 長谷寺(ちょうこくじ)  港区西麻布2-21-34
地下鉄半蔵門線・千代田線・銀座線表参道駅徒歩20分
都バス88系統(渋谷~新橋)西麻布バス停徒歩5分

  樋口家墓地篇     会津藩士墓地篇

大本山永平寺別院長谷寺山門
福井の曹洞宗大本山永平寺別院。
宗門の専門僧堂がある修行道場
長谷寺本堂
もと下野国大中寺の末寺、天正十二年溜池に移り虎嘯山瀧雲院と合寺して現在の普陀山長谷寺となる。
1、西郷近光之墓

会津藩大老西郷君歾矣孤子近思件繋其羣行来請曰亡親歴仕□藩頗有功労人皆知之不及今碑而表之則後□無以微願籍大手以銘於墓辞意極懇余識君有素而又相善也乃不敢辤按状以経緯之君諱近光稱頼母西郷氏六世祖諱近房始事 藩祖土津公甚得眷注継及□徳翁公寵光益隆遂陛老職又進班於諸老之上比為君之開祖後数世襲老職並有賢名其詳存家牒至諱近義者歾無嗣禄除因使其弟諱近寧起承其後新賜扶五百石後加賜二百石為番頭即君之考也妣西川氏君以明和八年九月六日生至天明三年始謁 恭定公八年正月授物頭後歴任奏者番家老組組頭番頭奉行若年寄文化二年貞昭公襲封伸謝於  大廷時君従諸老後執謁  大君是崴 貞昭公逝明年 欽文公立以 先公遺嘱別賜百石七年五月進□老職加扶合食干石九年三月嘉奘功績加賜三百石十年五月當 公以襲立進見  大君君亦陪謁文政元年以其為閥□勲舊特命為大老又加扶合食三千石是歳以

2、保科有隣墓

近光の孫頼母近悳の長男吉十郎有隣墓
明治十二年八月九日病没

3、保科・西郷家之墓
西郷頼母は戊辰後、旧姓に戻し保科氏を名乗る。
4、一瀬幾与子墓

西郷頼母の妹

5、一瀬志のふ・満里之墓
一瀬幾与子の子?
6、井深八代子墓
井深家に嫁いだ西郷頼母妹
(墓は青山墓にあります)
7、小森駿馬之墓

九月二十七日逝 男一峰建之

朱雀寄合一番隊小森一貫斉の子。
一貫斉の姉律は西郷頼母の母
8、小森美壽子之墓

七月十八日逝

9、小森一峰・峰子之墓

一峰は小森一貫斉の曾孫

一柳家墓域
一柳墓地石柱
10、清鑑院直心淳行居士

享保十七年壬子年六月十二日
一柳伊右衛門者姓越智
諱直行奥州会津之産也
行□六十九歳而病死□
孝子一柳直行建之

11、一柳家墓碑

堆顔院白法□霊居士
見流院一□□逝居士
□□院一山□寶大姉
見性院直應□得居士
真性院寶應貞操大姉

12、会津家士一柳氏直良妻
荻野氏寛義娘之墓
明和三丙戌年七月十四日
13、直心妙江大姉(山崎氏)

一柳鎗三郎三女

14、樋口家之墓
樋口彦四郎
姓中原氏樋口勘次光武君之四男
会津樋口氏は全て姓中原氏。白虎隊士。
長男、樋口真彦(光訓)
次男、樋口光輝(墓碑黒谷)