増上寺(松平正之父秀忠の墓)港区芝公園4−7−35
地下鉄三田線御成門徒歩3分・山の手線浜松町駅徒歩15分

「三縁山内伽藍の後松柏凋まぬ緑の中に」は、6年間通っていた学校の校歌の一部ですが、三縁山増上寺は、はじめ真言宗光明寺として麹町に開創、あと至徳二年改宗、明徳四年改称、天正十八年徳川家の菩提寺となり、慶長三年今の地に移転した。40万坪の中に、徳川一門が境内の南北に埋葬されていたが、明治二年に徳川氏廟墓地と増上寺境域の界を定めたが、昭和20年御霊屋群も焼失、昭和33年徳川一族の改葬が行われ、増上寺本堂裏に徳川将軍家霊廟増上寺御霊屋(おたまや)として一ヶ所にまとめられています。徳川将軍墓所は御忌大会(ぎょきだいえ)に大体合せて、毎年春のサクラの時期の4月初め、1週間程度特別公開されています。今、増上寺の南側に在った六・七代将軍廟墓跡は東京プリンスホテル、又南側に在った二代将軍廟墓跡には東京プリンスパークタワーが建っており、西北には東京タワーがあり昔の面影は失われてしまいました。

1増上寺山門  2増上寺徳川将軍家の墓所配置図
3現在の将軍墓所宝塔配置図
1二代秀忠公夫妻石塔、2六代家宣公夫妻青銅塔、3七代家継公石塔、
4九代家重公石塔、5十二代家慶公石塔、6十四代家茂公石塔
7清寛院和宮青銅塔

1 増上寺山門
昭和33年の調査より
1 二代秀忠公夫妻石塔
2 六代家宣公夫妻青銅塔
3 七代家継公石塔
4 九代家重公石塔
5 十二代家慶公石塔
6 十四代家茂公石塔
7 清寛院和宮青銅塔
増上寺(松平正之父秀忠のお墓)