@松栄山長秀寺 千葉県富津市富津169
JR内房線青堀駅より富津公園行バス
富津銀行前下車徒歩3分
長秀寺過去帳によれば、会津藩関係者は十二名、他に白河藩・忍藩関係者が埋葬されていますが、前は本堂裏手に在った墓標を今は無縁仏として、一般の墓標とともに本堂右側の一画に集められており、会津藩関係は一番手前中央の墓一基が分かるのみです。
会津藩関係者十二名のうち、誠諦院節義日進大居士(石澤義則)、宣示院妙道日慈大姉(石澤義則妻丹羽氏)二名の墓は同じ富津の正珊寺に移されています。また石澤義則の三女(妙華童女)が対岸の走水円照寺に埋葬されています。
嘉永七寅年
春理院妙性信女
四月十八日
会津家臣水主頭
行年四十有五歳卒
右墓
珊瑚院玉山日迎居士
(白川家中、永井荘右衛門)
左墓
要道院智照日顕居士
(下総家中、渋谷団右衛門)
福聚山泰嶽院浄信寺
富津市青木887
JR内房線青堀駅より富津公園行バス
青木下車徒歩10分
慶長六年(1601)開山、心譽春諦上人が観音堂守護として大仁村民の帰依を受け一寺を建立、元禄九年(1696)、九世信譽理碩上人代に飯野藩主保科正景の帰依を得て、本堂を再建した。