青山霊園
 (会津関係篇T)
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青山霊園(会津関係篇T)
青山霊園(会津関係篇T)
1、警視庁墓地 2、林権助 3、秋月胤永之墓 
4、山川健次郎 6、小川亮之墓 7、出羽家墓地 
青山霊園(会津関係篇U)
8、井深家之墓 9、角田秀松墓 10、小野権之丞墓 
11、外島家之墓 12、山内道行墓 13、生駒遊水墓
14、横田秀雄之墓 15、樋口光之墓
1、警視庁墓地内(石山八治郎・斉藤外三郎、木村省二郎) 1種ロ8号1側
        追加(荒木三郎、鈴木武夫、清水志一郎、禰津金治・山口左五郎)
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故巡査石山八治郎之墓
明治二十年五月十二日歿
享年三十又五
福島県旧会津藩士族
斉藤外三郎之墓
一等警視
新宿警察署勤務中殉職
墓石に事跡が記されていますが、ほとんど判読できませんでした。
木村省二郎茂忠之墓
青森県士族 旧会津藩
安政元年二月十七日生
明治十五年五月二十日
2、林権助 室竹子墓
  1種ロ8号1側
林家家紋 蔓四ッ葵中丸菱
会津藩士 林権助の子、外交官で昭和三年式部長官、同九年枢密顧問官に任じられた。
松平恒雄氏墓地と隣合せです。
3、秋月 胤永(通称・悌次郎)之墓
1種ロ12号26側
秋月 胤永妻遠藤美枝墓
会津藩士。丸山胤道の次男、江戸昌平學に学び、後藩命にて関西の各藩を遊歴する、戊辰戦争では越後口で戦い、籠城後、手代木と共に降伏の使者となる。長州千城隊参謀の奥平謙輔に会津藩の処分の陳情と会津藩子弟の教育を依頼する。この時の子弟が、大学総長になった山川健次郎と陸軍工兵大佐小川亮です。奥平謙輔はのちに、「萩の乱」首謀者として処刑され、このあと、この二人は二重の大変な苦労を強いられたと思います。
秋月家墓所碑
従四位子爵松平容大篆額
高等師範学校教授従三位勲五等
南摩綱紀撰文並書
4、山川家之墓
1種ロ18号5側
男爵山川浩墓
山川健次郎の名は記されていないが、山川家之墓に合葬されているものと思われる。
健次郎は、会津藩士山川尚江の次男。大蔵(浩)の弟。戊辰戦争後、僧河井善順に従い、長州藩奥平謙輔を頼る。エール大学で物理学を専攻、理科大学長から東京帝国大学総長に就任、のち九州、京都帝大総長兼任する。
明治三十一年二月四日薨
会津藩家老。大蔵のち浩と改名。戊辰戦役に日光口を守備して奮戦、のち陸軍少将、初代高等師範学校長、貴族院議員。「京都守護職始末」を著す。
山川唐衣之墓
明治二十二年四月廿二日
会津藩士山川尚江の妻。名は艶。浩・健次郎兄弟の母。
父は会津藩士西郷近登之
6、小川亮之墓
1種ロ22号10側 
陸軍工兵大佐、正五位勲三等功四級
会津藩士小川清流の長男で幼名伝八郎。戊辰戦争で白虎寄合一番隊に入り越後口に出陣、開城後、山川健次郎とともに越後にいた長州藩士奥平謙輔を頼る。
小川亮妻悦之墓
小川家家紋
7、出羽家之墓
1種ロ17号9側
海軍大将従二位男爵出羽重遠建之
 大正三年一月三日
出羽重遠は出羽家之墓に合葬されています。安政 二年(1855)十二月生、会津藩士出羽佐太郎の長男。
日露戦争には第1艦隊第3戦隊司令官として出征。明治四十年男爵。四十五年大将。シーメンス事件の際には査問委員長として海軍内部の粛軍に努めた。
出羽重二墓
秋月胤永撰文の墓表があります。重二は重遠の二男
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巡査亀鑑 荒木三郎

巡査荒木三郎君墓碑銘 
会津藩主正四位松平容保篆額
会津藩士正七位南摩綱紀撰文
宮内省御用掛成瀬温書
摂津の荒木村重一族、父重義の第三子、母宮下氏 戊辰戦争に従い、西南戦争にも従軍する。
明治十五年七月四日歿

鈴木武夫之墓

一等巡査
福島県士族、旧会津藩士
明治十三年六月二日歿
享年二十六歳

警部試補清水志一郎墓
別働第三旅団第三中隊一番小隊 
福島県士族 旧会津藩士
松平恒雄氏墓所の斜め後にあります。
戦死士招魂之碑

正二位源慶永書(松平春嶽)
西南戦争で戦死した警視第六方面第一分署の油比文在以下二十八名の名前があり、記録によれば、この中の禰津金治・山口左五郎の二名が、旧会津藩士とのことです。