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   青山霊園
(松平氏・稲葉氏篇)
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青山霊園案内
青山霊園(会津関係篇W)

青山霊園 港区南青山2−32−2
地下鉄銀座線外苑前駅徒歩10分

明治五年(1872)、明治政府が青山家下屋敷跡に第一号の官製墓地としたのもで、旧大名家の神葬の墓碑が20以上あり、二十六万平米の広さの中に約十一万体が埋葬されているとのことです。墓地の中はだた広く位置番号が分かっていても、予め管理事務所で案内図(コピー)を手にいれて訪ねないと、霊園の中で1日中ウロウロすることになると思います。新しい案内図は、十八年秋頃に出来るそうです。

1、松平恒雄・室信子之墓
1種ロ8号1側

会津藩主松平容保の四男。
従一位勲一等、外交官で駐米・英特全権大使となる。
長女は秩父宮家に嫁した節子妃殿下。
妻信子は、肥前佐賀藩十一代藩主鍋島直大の五女

青山霊園(松平氏・稲葉氏篇)
1、松平恒雄室信子之墓   2、鍋島直大之墓
3、稲葉家墓所         4、丹羽家之墓
松平家家紋 会津葵
2、鍋島家墓所
1種イ4号7側
佐賀鍋島氏は、初代藩主を鍋島直茂の嫡男勝茂として、明治まで至る。
鍋島直大之墓

肥前佐賀藩十一代藩主、従一位勲一等
会津藩主松平容保の四男松平恒雄妻信子父
父肥前佐賀藩十代藩主 鍋島直正(閑叟)
母、広橋栄子(父:広橋胤保)

直大夫人栄子之墓
管理事務所からの北中央から入り、東三通りの右側2ブロック目の鬱蒼として荘厳とした所に佐賀鍋島家の墓所があります。郵便通りを挟んで松平家の墓所があり、同じブロックが警視庁墓地となっています。さらに1つ先のブロックに吉田茂之墓、また警視庁墓地と東三通りを挟んで忠犬ハチのお墓もあります。
3、稲葉家之墓
1種イ13号28側
稲葉家継承碑
文久三年京都守護職であった会津松平容保と所司代であった淀藩主稲葉正那は公武合体派として世に言う禁門の政変を共に戦った両家は縁戚関係となっており稲葉家は十九代で継承する実子がなく、この墓地は平成十六年以降松平家と共同使用となっている。
平成十六年七月吉日
稲葉家十九代稲葉正輝
会津松平家十五代松平保定
淀藩十二代藩主稲葉正邦は二本松藩主丹羽長富の次男
稲葉家家紋
4、丹羽家之墓
1種ロ7号14〜15側
二本松藩は、慶応四年(1868)の戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に参加するが、新政府軍に手薄の二本松城下を攻められ、僅か1日の戦闘において落城、藩主の丹羽長国は米沢に逃れた。
武将戦死者慰霊塔
二本松藩士戦死者慰霊塔
丹羽家家紋 直違紋
丹羽家墓所の墓碑によれば、承暦二年七月、報恩院を始として一族五十名以上葬されており、泉岳寺より改葬とありました。
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