1,清水慶壽 2,片桐藤八嘉會 3,吉川惟足 4,赤羽秀子
5,樋口伊都羽 6,井深彦三郎 7,佐々木泰邦 8,入江惟一郎
9,池上元子 10,蓮沼門三 11,騎西五三郎
① 1種ロ/6/8
旧会津藩士 清水慶壽之墓
明治十三年五月十二日
② 1種ロ/7/14
片桐家墓域
会津藩士 片桐藤八嘉會
天保十年己亥七月十九日卒
本姓葦名氏
会津若松市大窪山史跡旧会津藩士墓地より一族初代長嘉九代与八郎に至る片桐家の遺土を合碑
③ 1種ロ/8/53
旧吉川邸墓地改葬合祀之墓
会津藩神道大家吉川惟足大人
大竹喜三郎外三十五霊
碑裏
明治廿九年十月建之
羽島勝江、大竹庄司、
中里倭文、吉川 倉
(吉川家霊祠三十基、会津藩神道師範
大竹政文家三基、上州羽島家二基、
野州中里家二基)
昭和十一年十月大人歿後
二百四十一年後学有志建之
碑表大人門人保科正之公
後胤子爵松平保男君所書也
神道家吉川惟足大人奥城
吉川神道高弟大竹喜三郎は幕末の会津藩士、同じ墓域に大竹家の墓石があり会津日新館神道方の大竹孫右衛門一族、喜三郎は代々の通字、大竹喜三郎は戊辰五月一日磐城戦死。
④ 1種ロ/17/17
赤羽家墓域
赤羽友春妻秀子之墓
会津藩士芦沢寛治長女、寛治次男の直義(内村家養嗣子)は西南ノ役警視隊一番隊長で墓は谷中霊園にある。
赤羽友春は思案橋事件で処刑された三人の会津士族の墓市谷源慶寺三人の遺骸を源慶寺に埋葬したと言われている
⑤ 1種ロ/19/5
樋口家之墓
旧会津藩
樋口伊都羽
昭和三十一年一月十二日没
伊都羽は樋口勘次長男真彦の次男
勘次次男光輝墓は京都黒谷会津藩墓地
四男は彦四郎、墓は渋谷長谷寺
⑥ 1種ロ/23/9
井深彦三郎墓
裏面に生於会津
旧会津藩士、後衆議院議員となる。兄は明治学院総長となった井深梶之助、ハンセン氏病患者の救済に尽くした井深八重は娘。
⑦ 2種イ/3/7~8
佐々木家之墓
佐々木先生之碑
正三位勲四等子爵松平容大公篆額
先生姓佐々木諱泰邦通称源太郎旧会津藩士也慶応戊辰
之乱為藩転戦各所乱平之後従藩主移斗南明治七年奉職
警視庁西南之役従軍有功叙勲六等同二十四年三月辞職
卜居東京四谷育英自楽俊才出於其門者多先生以天保六
年六月某日生明治三十八年九月十一日疾歿享年七十有
二葬青山墓地先塋之次有二子長源之進嗣其家官為判事
次栄次郎為陸軍歩兵少佐今茲同門相謀建碑基側追想旧
恩傳之不朽銘曰
薩山肥水 甞見偉功 老餘育英 長仰遺風
明治四十一年三月 陸軍歩兵少佐二瓶源五撰
宮 内 庁 古河末虎書
(碑裏)
二瓶源五 脇坂 寛 脇坂 裕 渡辺代三郎
狩野鷹力 狩野竹次郎 筒井彦作 黒河内信次
松江豊寿 町野武馬 古河末虎 秋山義次
酒井 力 両角三郎 関 祐一郎 鈴木一馬
故水野忠雄父 君嶋 健 水野健
佐々木泰邦の死後、門下生が師の旧恩を追想して碑を建立している。門下生には、第九代若松市長になった「バルトの楽園」という映画でも取上げられた松江豊寿、張作霖の軍事顧問だった町野武馬、両角三郎中将、鈴木一馬少将などそうそうたるメンバーが揃っている。
⑧ 2種イ/3/7~8
旧会津藩士 入江惟一郎墓
文武を脩め長崎で学び、戊辰の後、斗南に藩主松平公に従う。西南役には陸軍中尉兼権大警部として参加、そのご本郷、浅草警察署長を勤める。明治二十六年、四十八歳で病死。南摩綱紀は、漢学者で、字は士張、号を羽峰と称し会津京都藩邸学識、東京帝国大学教授などを歴任する。篆額は吉田晩稼、字は君敬、号は香竹。高島秋帆門下。靖国神社参道右手の石標も晩稼の書。
入江君墓碑銘
君諱惟一郎入江氏旧会津藩世臣幼嬉戯常圧羣童長脩文武曾
従考至長崎学蘭書当時人唱攘夷視読洋書者擯斥之二君不少
介意詵而遭戊辰之乱奮戦于各地乱平以事下獄而非其罪君対
法官侃侃抗論寃遂白無幾従藩主松平公遷斗事誅判棘墾田園
藩主賞賜大盃七年至東京奉職於警視庁累遷一等少警部十年
西南役起任陸軍中尉兼権大警部事平以功叙勲五等賜雙光旭
日章及金五百圓尋任三等警視叙勲四等賜旭日、綬章累進従
六位廿六年特旨陞正六位 天皇嘗観警視官乗馬於吹上禁苑
君蒙一等賞賜絹帛資性勇剛果決而寛厚愛人平生自奉倹素好
與人交不論貴賎雅俗客至必置酒披襟罄歓毫不脩辺幅曾為本
郷警察署長区民悦服既而転浅草警察署長本郷区民請復職於
官而不己後遂復職区民歓迎焉君又古器異好物及書画暇則過
骨董肆覩適意者必傾嚢買之不復論價貴賎陳列之座右以楽廿
六年九月罹疾荏苒不愈十二月三日聞会津老公薨悲慟病大漸
夢床芸語公事五日遂歿年四十八聞者莫不悼惜葬青山兆域頃
日友人故旧相謀醵金建碑又充還孤教育資本郷区民聞之出金
者三百余人余之敍其平生係之以銘曰
性勇而寛 秋粛春煦 柔亦不食 剛亦不吐
克盡其識 人畏而怙 雖寿則短 芳名千古
明治二十九年四日 高等師範校教授正六位勲六等南摩綱紀撰
吉田晩稼篆
井亀泉刻
春暁院釋梅含清香大姉
⑨ 1種イ/11/4
福島県士族池上四郎嫡夫人
土肥氏元子之墓
⑩ 1種イ/7/17
墓碑に「蓮沼門三は明治十五年二月二十三日生福島県会津の雪の路傍に生まれ貧困の中にそだった」とある。愛なき人生は暗黒なり 汗なき社会は堕落なり とあった。これは、愛と汗を旗印とした修養団創設者で、福島県喜多方市山都町生まれの蓮沼門三の言葉。東京府師範学校内で修養団を創立したのが始めだった。まれ、昭和五十五年六月六日九十九歳を一期としてその生涯を閉じた
⑪ 立山墓地 1種ロ/4/1~9
誠心院仁岳良忠袴居士
会津藩小姓頭浅羽忠之助三男五三郎
二十七歳 明治二十一年六月十一日没